ソムリエ駆け出しのころ。

前回から続くソムリエになりたてのおはなし。

入社したフレンチレストランはフランスの星付きと業務提携している老舗で、

創業は40年近くなる名店でした。

サーヴィスの上司たちはサーヴィス一筋20年!!といった方々ばかりで

入社した初日はなんとウォーキングの指導からでした。

上半身を全く動かさず、膝から下だけで歩く。。歩く。

それからはお皿やトレイ、サーバー(フォークとスプーンでパンとかを配る作業)の使い方、、、ワインなんて全く触りもしません。。

そう、ソムリエはサーヴィスマンの分類のひとつであって

ワインを中心とした飲料サーヴィスのプロフェッショナルなのです。

なので水や紅茶、フレッシュジュースまで飲み物は全て知識の対象です。

このレストランではデクパージュ(客前でサーヴィスマンが食材を切り分ける)という古典的なサーヴィスを行っていたので、サーヴィス同士の連携や、あれやこれを用意するとか、仲間への配慮も学べたのでした。

当時は大阪の中心に住んでいたので、仕事あがりや休日にはワインショップやワインバーを巡ったり、当時のシェフソムリエが本当に色々な知り合いを紹介してくださり、最初はシェフソムリエの名刺に自分の名前を書いて配ってたところ、初めて自分に名刺を貰えたときの感慨深い思いは今でも忘れられません。

当時からソムリエ教本を毎年書き写したりなどのアップデートは欠かさずしてましたが、何かチャレンジできるもにはないかと思っていた矢先に重要なターニングポイントに出会いました。

それが日本ソムリエ協会が主催する、「ソムリエ•スカラシップ」でした。

今日はここら辺で、次回に続きます。。

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朝倉達也のこれまで。

こんばんわ、2回目のpostです。

なぜ僕がソムリエになったのか。今回はそんなお話です。

僕は薩摩藩の時代から続く医者の家系に産まれました。

今でもご先祖さまの銅像が鹿児島の駅前あります。

その中でバリバリの文系に育った僕は医者も目指す事もなく、

なんとなく進んだ高校も半年で中退しました、、

その当時のアルバイトがイタリアンで、15歳から包丁研いだり、玉ねぎの皮剥いたりとかして、実質二十歳までは僕は料理人でした。

その後関西に来て色んな店舗で働いて、お寿司握ったり串カツ揚げたり、カフェの仕事ではパティシエ補助でケーキ作ったり、今では掛け替えの無い経験です。

二十歳を境にアルコール飲料のサービスに興味を持って、

まずはカクテルの勉強から始め、接客の魅力を感じ、本職にしたいと考えてるうちに、3つの選択肢が出てきました。

①バリスタ ②バーテンダー ③ソムリエ でした。

幸い当時働いていたカフェには近隣のホテルのソムリエさんがランチに来たり、

隣りにはワインショップがあったので、自然にソムリエの選択肢を選びました。

今考えるとあの環境でなかったら今はどうなってたのか、、

その頃から色んな環境に恵まれていたんだなぁと実感してます。。

初めてのチャレンジでソムリエ試験も一発合格!

その後大阪の老舗のフレンチレストランに入社し、ソムリエ人生が始まります。

一回で終わろうと思ったのですが、長くなったので後半に続きます、、

Blogはじめました。

みなさん、こんばんは。初めての方は、はじめまして。

朝倉 達也と申します。

フレンチレストランにて、ソムリエという仕事をしてます。

皆さまにもっとソムリエという仕事を知ってほしかったり、

色んな日常風景をソムリエ的な観点で見ていった部分を

色んな人に共有できないかなぁと思い、Blogをはじめました。

15歳より飲食業界に身を置き、気付けば18年、、、

若手と言われた時期から、気付けば後輩もどんどん出てきてもう中堅。

まだまだ勉強中の身ながらも、自身の経験や感性が

誰かの役に立てれば嬉しいなと思っています。

次回は簡単な自己紹介なんぞしてみようかなと。

どうぞよろしくお願いいたします。